2018年07月18日

実家の処分 決まりました

 先日、両親の三回忌の法要を無事に終え、
 きのうは実家の境界線の立会を行いました。
 
 2年前、相次いで両親を亡くした私は
 なかなか悲しみから立ち上がることができませんでした。

 1964年、東京オリンピック開催の年の3月に
 house 引っ越してきた市の分譲住宅。
 50年以上も家族が暮らしてきた思い出深い家です。

 でも、子や孫は既に独立し、
 それぞれの地でそれぞれの生活を送っているので、
 実家は処分するよりほかに方法がありません。
 
 私が毎日のようにここへ来て片付けを頑張っているのも、
 そのためです。
 つらくても仕方ないのです。 


実家の処分 決まりました



 きのうは icon01 猛暑の中、ご近所さんが6軒、
 市の担当者が2名、土地家屋調査士事務所から2名、
 ハウジングさん1名が集まって下さいました。

 私は実家から離れていた時間も長く、
 今回初めて顔を合わせる方もいました。

 「あんたんとこが、前に新諏訪に住んでたってウチかい?
  わしゃ、昔よーく電報配達に行ったもんだよ。
  トクダミキオさん宛てにさぁ・・・・・」

 91歳だと言うそのおじいさんから、
 まさかこんなところで、
 母方の祖父の名前が聞けるなんて思いもよらなかった。

 懐かしいミキオおじいちゃんの名前。

 母が自慢していたおじいちゃん。
 軽井沢の郵便局に勤めていた頃、
 外国人のお客さんが来ると独学で英語を学んだ祖父が
 相手をしたんだそうです。

 その話を子供の頃に何度も聞かされた私や弟が
 英語を好きになったのは、
 そこが原点なのかもしれません。

 「いつもお母さんはお庭を花でいっぱいにされて、
  それから雪かきも一人で朝早くからよくやって下さって、
  本当に助かってたのよ。
  落ち着いたら、ぜひ一度お茶飲みにいらして。」

 裏の家の、きれいな奥さんからも声を掛けてもらいました。

 境界線の確認。
 長い間勘違いしていたことも、出てくるんですね。(苦笑)


 父が会社を整理したあと、
 解体される4階建てのビルを見ていたのも私でした。
 今度は、この家(2階建の8LDK→プチ自慢)の番。 
 最後まで見届けるのが長女の私の役目だと思っています。

 ひとつずつ区切りをつけ、
 これから先の自分の人生を考えるためにも。


 片付けはまだまだ残っているのに、
 あらら~、暑さのせいで間違えて
 face08 クーラーのリモコンまで捨てちゃったよお!?

 がんばれ、古い羽根の扇風機!! face10 icon10 icon10 



 



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Posted by ロミママ at 13:04 │片付け/断捨離