いつも前だけを見てきた (その8)

ロミママ

2013年04月07日 15:54

      ≪ 運命の不思議 ≫

 
   兄から電話があったのは、11月の初め頃だった。
  
  「村の郵便局で職員が足りない。 俺がどうかと言われたが百姓で忙しい
   から、東京のおまえのことを話したら、よかろうということになった。」

  すぐに帰るには親の急病とでも言うより仕方ないと思い、ご主人にそのよ
  うに申し出て許しをもらった。 数日後、夜行で帰ることになりバッグ一つ
  持って上野駅へ急ぐと既に兄が待っていてくれて、長野行きの夜汽車に
  間に合った。


  鬼無里へ着くなり、早速郵便局
  長の松本計三さんを訪ねて挨
  拶。 面接は簡単に済んで翌日
  から出るようにと言われた。 
  正式に採用され、日給65銭の
  辞令書を頂いた。

  実家から郵便局までは歩いて
  15分程で、母の作ってくれる
  弁当を持って通った。 泊りの
  勤務もあったが、その時は古
  満寿屋旅館さんから弁当を届
  けてもらったが、確か10銭で
  安くてとてもおいしかった。

  しかし、楽な仕事ばかりではな
  い。 真夜中の電話交換から
  郵便物の差立て、電報の配達
  など現金以外は何でもやった。


  
  仕事は多く忙しかったが、それがまたおもしろかった。 ただひとつ辛いと
  感じたのは、局長が遅くまで局にいるため、夜の11時、12時は普通だっ
  たので、私たち職員は時に居眠りをしながらも最後まで付き合わなければ
  ならなかった。

   その頃仲間の話から、小学校の同級生で成績優秀な戸谷君が、2年も
  電報の配達などをしながら挑戦している 「逓信講習所」 の試験がある
  ことを耳にした。 彼が何度も挑むほどそんな良いところがあるなら、これ
  は私も受けてみたいと思った。 内緒で調べてみると、もう今年限りで年
  齢制限に引っ掛かる。 相談に乗ってくれた局の先輩は、受けるだけ受け
  てみたらいい、と勧めてくれた。 

  昭和13年の1月半ば、局長に相談もしないで受験したところ、これが意外
  にも受かってしまった。  私の就職を心配してくれた局長には本当に申し
  訳ないと思ったが、もはや黙ってはおれない。 事情を話して退職を願い
  出た。 局長は驚きながらも、おもむろに言ってくれた。 「他の仕事なら別
  だが、同じ郵便局の道に進むのだから反対するわけにもいかない。 認め
  よう。」  

  しばらくして、名古屋逓信局長名で 「6月1日までに愛知県鳴海町の名古
  屋逓信講習所普通科に入学せよ」 との通知が届いた。 たとえ1年でも、
  初めて人並みに、俺もやっと学校らしいところへ行けるのか。 そう思うと
  嬉しさが増した。  


                  (白沢誓三の自分史  つづく)


関連記事