2013年05月26日
いつも前だけを見てきた (その12)
≪ ついに太平洋戦争へ ≫
長い闘病生活の中、二十歳の徴兵検査は丙種合格で兵役だけは逃れた。
こうしたうちにも世の中の動きは激しく、昭和16年12月8日、ついに太平洋
戦争が始まった。 その朝は、名古屋市中区の下宿先、祖父江さん方でラジ
オを聞き、友人とともに興奮していた。 開戦当時は不意打ちのせいか戦果
があったが、米軍が反撃に転じてからはいずれも負け戦だった。 米軍はサ
イパン、グアムを奪回し、フィリピンから沖縄、本土を狙う作戦がはっきりと見
えていた。
翌年の3月5日、この日は米軍艦載機が低空飛行で東京、名古屋、神戸
へ侵入した日だった。 私の所属は通信課から庶務課に移っていた。 私は
ちょうどその時、愛知一中の校舎で専検の受験中で、試験も当然中止せざ
るを得なかったのでよく覚えている。 翌日には、米軍B25爆撃機の初空襲
に見舞われた。 この頃から、艦載機の空襲や艦砲射撃は連日のこととなっ
ていった。
そして、長野日赤でとても世話になった看護婦の志摩つねさんから、病院
船勤務になって名古屋駅を列車で通る、と便りがあった。 せめて見送ってあ
げたいと駅まで行ったが、ほんの一言、二言ことばを交わしただけだった。
次第に毎日の生活も厳しくなっていったが、ある日突然、世話になってい
た室食堂の奥さんから 「ウチの2階へ来ないか」 と声を掛けてもらい、私と
友人は喜んで引っ越した。 1年ほどで奥さんの身内が疎開してくることにな
り、友人は通信のベテランとして行き先が決まり、室さんはすぐ前の田中さん
宅に私の部屋を借りてくれた。 4年前には5人で同じ職場だった仲間が、兵
隊にとられたり帰郷したりで、ついに私一人になってしまった。
この頃、男にはいつ赤紙が来るかと内心びくびくしていたが、誰もが顔では
名誉のことのようにしていた。 戦況はもう敗戦が見え始めている。 しかし、
空襲にしても赤紙にしても、いつ来るのか分からないのでどこにも安全なとこ
ろはない。 ひょっとすると内地よりは南方の方が安全かもしれない。 赤紙で
召集されたら、病弱の私にはあの新兵訓練はとても耐えられないとも思って
即刻従軍を願い出たところ、間もなく許可が下りた。 同時に、書記補の任命
もあり、士官待遇ということも分かると、通信課の上司が早々軍刀を心配して
くれた。
(白沢誓三の自分史 つづく)
長い闘病生活の中、二十歳の徴兵検査は丙種合格で兵役だけは逃れた。
こうしたうちにも世の中の動きは激しく、昭和16年12月8日、ついに太平洋
戦争が始まった。 その朝は、名古屋市中区の下宿先、祖父江さん方でラジ
オを聞き、友人とともに興奮していた。 開戦当時は不意打ちのせいか戦果
があったが、米軍が反撃に転じてからはいずれも負け戦だった。 米軍はサ
イパン、グアムを奪回し、フィリピンから沖縄、本土を狙う作戦がはっきりと見
えていた。
翌年の3月5日、この日は米軍艦載機が低空飛行で東京、名古屋、神戸
へ侵入した日だった。 私の所属は通信課から庶務課に移っていた。 私は
ちょうどその時、愛知一中の校舎で専検の受験中で、試験も当然中止せざ
るを得なかったのでよく覚えている。 翌日には、米軍B25爆撃機の初空襲
に見舞われた。 この頃から、艦載機の空襲や艦砲射撃は連日のこととなっ
ていった。
そして、長野日赤でとても世話になった看護婦の志摩つねさんから、病院
船勤務になって名古屋駅を列車で通る、と便りがあった。 せめて見送ってあ
げたいと駅まで行ったが、ほんの一言、二言ことばを交わしただけだった。
次第に毎日の生活も厳しくなっていったが、ある日突然、世話になってい
た室食堂の奥さんから 「ウチの2階へ来ないか」 と声を掛けてもらい、私と
友人は喜んで引っ越した。 1年ほどで奥さんの身内が疎開してくることにな
り、友人は通信のベテランとして行き先が決まり、室さんはすぐ前の田中さん
宅に私の部屋を借りてくれた。 4年前には5人で同じ職場だった仲間が、兵
隊にとられたり帰郷したりで、ついに私一人になってしまった。
この頃、男にはいつ赤紙が来るかと内心びくびくしていたが、誰もが顔では
名誉のことのようにしていた。 戦況はもう敗戦が見え始めている。 しかし、
空襲にしても赤紙にしても、いつ来るのか分からないのでどこにも安全なとこ
ろはない。 ひょっとすると内地よりは南方の方が安全かもしれない。 赤紙で
召集されたら、病弱の私にはあの新兵訓練はとても耐えられないとも思って
即刻従軍を願い出たところ、間もなく許可が下りた。 同時に、書記補の任命
もあり、士官待遇ということも分かると、通信課の上司が早々軍刀を心配して
くれた。
(白沢誓三の自分史 つづく)
Posted by ロミママ at 14:39│Comments(2)
│父の自分史
この記事へのコメント
お父さまのお話、いつも興味深く
拝読しております。
いろいろな人生がありますが、一昨年亡くなった
自分の祖父の話をいつも話半分でしか
聞いてこなかったことが悔やまれます。
拝読しております。
いろいろな人生がありますが、一昨年亡くなった
自分の祖父の話をいつも話半分でしか
聞いてこなかったことが悔やまれます。
Posted by ハヅキ
at 2013年05月27日 17:32

☆ ハヅキ様 ☆
ありがとうございます。 とっても嬉しいです。
父の自分史は昔のことばかりだから、
若い人には読んでもらえないだろうと思っていたんです。
看護婦の志摩つねさんて、もしかしたら父の初恋の人かなぁ、
なんて想像するとちょっと楽しいの。
ありがとうございます。 とっても嬉しいです。
父の自分史は昔のことばかりだから、
若い人には読んでもらえないだろうと思っていたんです。
看護婦の志摩つねさんて、もしかしたら父の初恋の人かなぁ、
なんて想像するとちょっと楽しいの。
Posted by ロミママ
at 2013年05月27日 21:17

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