2013年06月02日
ドラマ 「ラジオ」 再放送
3月26日に放送された
NHKドラマ 「ラジオ」 の再放送がありました。
脚本は、一色伸幸。
大震災から1ヶ月で開設された
プレハブの小さなラジオ局が 「女川さいがいFM」。
そこでの実話から生まれた、
温かくて力強い、心を揺さぶられるドラマです。
どのセリフにも、目の前の相手に対する 「愛情」 が感じられ、
ことばの持つ意味や深さを考えずにはいられませんでした。
高校生 「某ちゃん」を
演じたのは
刈谷友衣子サン。
初めて見た
女優さんでしたが、
ナチュラルだけど
心の動きが
すごく表情に出てました。
大震災のあと仮設にひきこもり、
ギターでロックをがんがん弾きまくる一人娘を心配する両親。
某ちゃんは、母親の高校時代の後輩やFM局の仲間たちに見守られ、
ブログを書き始め、マイクの前でも自分の気持ちを伝えていきます。
彼女のことばと音楽は、
震災で家族を失い東京へ出て行った一人の男性(飛松)の心を打ちます。
某ちゃんが、取り戻さなくちゃいけないのは自分自身と気づき、
東京の大学へ進学するのと入れ替わりに、
飛松は 「女川に戻る。 そこからしかやり直せない。」 と決心するのです。
女川は、私が2月に
訪れた町です。
町の8割が、大津波で
流されました。
思い出のすべてが
「瓦礫」 ということばに
すり替えられました。
某ちゃんが
飛松と会うバス停は、
「きぼうのかね商店街」 です。
私は2日間ともここに通い、
6軒のお店をのぞいて、
ラーメンを食べたり
お茶を飲んだり
きれいなタイルを見たり
遅いタクシーを待ちながら、
地元の方と話をしました。

飛松役のリリー・フランキー。
彼は津波で家族を失い、娘は某ちゃんと同じ年頃だった。
「某ちゃん、最後にキミの名前を教えてくれないか?」 って聞くんです。
「某って何もかも不明だから、どこにでもいるんです。」
女川の町ばかりでなくて、
彼女と同じ体験をした女子高生は、他の町にもたくさんいるから。
5月12日には、
安倍首相が女川を訪問し、
私が泊った
トレーラーハウスの
「エルファロ」 さんを
視察しています。
でも・・・・。
人々の記憶の中から、次第に薄れていく大震災、大津波。
あれから、町の復興はどのくらい進んだのでしょう?
不自由な生活を強いられている人たちは、まだ多いと思います。
きぼうのかね商店街の 「鐘」 が、
再び大きく打ち鳴らされる日が来ることを、私は祈りたいです。
そして、「またここへ来ます。」 という約束を、
私はいつか必ず果たしたいと思っています。
それでなければ、私が出掛けて行った意味がないから。 (#^.^#)
NHKドラマ 「ラジオ」 の再放送がありました。
脚本は、一色伸幸。
大震災から1ヶ月で開設された
プレハブの小さなラジオ局が 「女川さいがいFM」。
そこでの実話から生まれた、
温かくて力強い、心を揺さぶられるドラマです。
どのセリフにも、目の前の相手に対する 「愛情」 が感じられ、
ことばの持つ意味や深さを考えずにはいられませんでした。
演じたのは
刈谷友衣子サン。
初めて見た
女優さんでしたが、
ナチュラルだけど
心の動きが
すごく表情に出てました。
大震災のあと仮設にひきこもり、
ギターでロックをがんがん弾きまくる一人娘を心配する両親。
某ちゃんは、母親の高校時代の後輩やFM局の仲間たちに見守られ、
ブログを書き始め、マイクの前でも自分の気持ちを伝えていきます。
彼女のことばと音楽は、
震災で家族を失い東京へ出て行った一人の男性(飛松)の心を打ちます。
某ちゃんが、取り戻さなくちゃいけないのは自分自身と気づき、
東京の大学へ進学するのと入れ替わりに、
飛松は 「女川に戻る。 そこからしかやり直せない。」 と決心するのです。
訪れた町です。
町の8割が、大津波で
流されました。
思い出のすべてが
「瓦礫」 ということばに
すり替えられました。
飛松と会うバス停は、
「きぼうのかね商店街」 です。
私は2日間ともここに通い、
6軒のお店をのぞいて、
ラーメンを食べたり
お茶を飲んだり
きれいなタイルを見たり
遅いタクシーを待ちながら、
地元の方と話をしました。
飛松役のリリー・フランキー。
彼は津波で家族を失い、娘は某ちゃんと同じ年頃だった。
「某ちゃん、最後にキミの名前を教えてくれないか?」 って聞くんです。
「某って何もかも不明だから、どこにでもいるんです。」
女川の町ばかりでなくて、
彼女と同じ体験をした女子高生は、他の町にもたくさんいるから。
安倍首相が女川を訪問し、
私が泊った
トレーラーハウスの
「エルファロ」 さんを
視察しています。
でも・・・・。
人々の記憶の中から、次第に薄れていく大震災、大津波。
あれから、町の復興はどのくらい進んだのでしょう?
不自由な生活を強いられている人たちは、まだ多いと思います。
きぼうのかね商店街の 「鐘」 が、
再び大きく打ち鳴らされる日が来ることを、私は祈りたいです。
そして、「またここへ来ます。」 という約束を、
私はいつか必ず果たしたいと思っています。
それでなければ、私が出掛けて行った意味がないから。 (#^.^#)
Posted by ロミママ at 19:30│Comments(0)
│大震災/災害
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